「統一教会問題」と「ホスト問題」の意外な共通点とは【仲正昌樹】
他人には愚かに見える「自己決定」をどう考えるのか? 「自由意志による契約」とはそもそも何か?
統一教会の霊感商法・高額献金問題について考える場合、それが不当な働きかけ(MC)によるか否かを判断する際に、抑えておくべきいくつかのポイントがある。まず、どういう教義で、どういう実践をする宗教か分かって、壺や多宝塔を買ったり、高額献金したのかが重要だ。それがどういう宗教で、自分が払った代金や献金がどう使われるか承知していたか、ということだ。この点で、「霊感商法」と「高額献金」は全く意味が異なる。
前者の場合、どういう宗教かよくわからないまま、霊的な効果について、その宗教の教義とも異なるいい加減な説明によって騙される可能性がそれなりにあるが、後者は、既に信者になっている人がやることだから、どういう教えか分からないまま献金したというのは考えにくい。心身が弱っているなどして判断力が低下していて、教団の責任者の強いプッシュをあまり自覚しないままに受け入れてしまった、という可能性はあるが、教義を信じていたこと自体がMCによる、というのは無理があるのではないか。教義を信じるに至ったこと自体がMCによるという言い分が法的に認められるのなら、ある宗教に入信したり、思想に傾倒したりしたことが原因で行った行為は、「▽▽を信じていたこと自体がMCなので、すべて無効」になりかねない。
また、その献金が一度になされたのか、何十年にもわたって少しずつ行われたのかもポイントだ。一度に献金したのなら、その時だけ弱っていて、冷静に判断できなくなっていたということはあり得るかもしれないが、何十年にもわたってMCされ続けていた、というのは不自然だ。仮に、何十年にもわたって、ある宗教の教義を信じさせるようなMCが可能であるとすれば、「私は当時MCされていた」、という証言自体がMCによるものではないか、と疑うことができるし、本人はずっとMCされたままなので、身内が「代わりに判断する」、という“パターナリズム”が簡単に認められてしまう。